2012年9月24日~25日(9、10日目/18日間)
タシュクルカンに到着
まず石頭城とか言う崩れた城がある。
まあ歴史にはあまり興味がないのでPASS
ここにあるのが最近作ったと思われるモニュメント
玄奘法師さんもインドへ行ったとき通ったとか
玄奘 Who?聞いたことある名前だが
調べると
中国の坊さんで若い頃長安とか成都あたりで仏教について勉強してたが、いまいちわからず、インドで調べてくるっきゃないと考え出かける。そのルートは長く、過酷なものであったようです。
長安から、天山北路を通り、中央アジアに入り、カシミールを通り、北インドに入る。インド各地で経典などを集めてから、パミール高原を越えて天山南路を通り長安に帰着。大体12年間くらいの旅であったようですが、帰路にクンジュラブ峠を通って、タシュクルカンに入ったようですね。あの砂漠土漠山岳地帯をどのようにして旅したのか、尋常な人ではないようです。無銭旅行でしょうな。630年頃の話のようです。
拝火教が入ってきたときもあったとか
こういう歴史をもっと勉強していけば、それなりにフムフムと言うことになっていたかもしれない。
中国の漢代に 当時の新疆地区(これを西域と言う)を漢政権は匈奴と争っていたが、班超さんは中国側で活躍したと言う漢代の人物。
匈奴は悪者みたいに書かれるがこれは中国側から見た見方、匈奴側からみた歴史はないのだろうか?
湿原地帯のようです
町について早速夕食。
今日は朝はたべたが後はまともに食べていない。
ここでラグ面をはじめて食べた。問題ない、おいしい
カバブ焼き立てを始めて食べる。うまいもんではないとの印象
モスリムと一緒なのでBEERはもちろん飲めない。
食事後ホテルにチェックイン7時半頃だったかな。宿は交通賓館。220元だったか これは旅行社に支払った費用の中に入っている。160元だったクチャの交通賓館よりずっといい。
外はまだ明るい
タジク人親子
こんな奥にも中国人(漢族)がいる。
タジク人のおばさん
正面きって撮る訳出来ないと思い盗撮
暮れ行く空
街は一本の大きな道路があり単純なのだがわき道にそれたら、やはり迷ってしまう
漢族のお店で白酒(52%)を7元だかで購入。今晩はこれでも飲むか。
しかし中国は偽物も多いと心配になる、エチルなら問題だ。様子見のため、少し飲んでおとなしくしておこう。
この酒は結局ホータンで透視検査で見つかり没収されてしまうのだが。
9月25日
朝、8時40分漸く明るくなった。ここは標高が高い、昨日たくさん飲まなくて良かった。
カシュガルがすでに1200mあるんだそうで、ここは4000mはあるのだろう、酒をトリガーに高山病にでもなったら大変だ。
ホテル前かなり寒い。昨日調達したセータを着る。
今日はパキスタン国境まで行き、後はカシュガルまでカラコルムハイウエーを帰る。
そんなに遠いんかいな。
10分くらい走り、ここで(OFFICEは写っていないが)、またさらに国境まで行くという、許可証を貰うようである。
9時半に事務所が開くということなので、しばらく待つ。
待っている間事務所の前などをうろついていたら、内部からスピーカーで何かを言うので、手続きがOKとか言っていると思い、運転手を呼んだ。
そしたらどうも俺に事務所の前でうろうろするなと言っているとのこと。前方の道路から2m位入った所に太い白線があり、その内部には近寄ってはいけないんだとか。
「為人民服務」と赤字でこの種の公共機関は大きくスローガンを書いてあるが、実にむなしい。運ちゃんに為人民服務じゃないのかねと言ったら、ウイグル人の運ちゃんは言葉だけねと言った。
写真を撮ろうとしたら、通訳がやめなさい!と言った。「人民我慢」である。
これがこの事務所(辺防検査点)で貰った通行証、その代わりにパスポートを預ける。
これはまた帰りに引き換え。
車の番号と、人員3名 前哨班(国境の軍拠点)までの当日限りの許可証
半分は事務所に残すようである。
入境許可証とは別物で当日の申請、その場で発行のようである。
家があるのもこの辺りが限界
高度が高くなりすぐ近くにまで雪が降り積もっている。
かなり荒涼としてきた。
国境からパキ側を望む。中央部にわかりにくいが国境の石塔がある。
パキスタンのとの国境 中国側イミグレーション
ここに着いたのが11時40分。ここまで9時10分出発のタシュクルカンから2時間半かかっている
ここは通訳は5000mといっていたが4800m位のようである。
かなり寒いです。写真は撮らないほうがいいと言われたが、そう言われるとどうしても撮らねばならないのである。
山のほうに向けて1枚
軍人がいる。
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